日本の仏教の中では比較的新しい、江戸時代になってから開宗した、黄檗宗の大本山だそうです。中国から渡来した高僧「隠元禅師」により開かれたお寺とのことです。
この「隠元禅師」は中国では著名な僧侶だったそうです。当時、鎖国していた日本でしたが、長崎には中国「明」から渡来した僧による寺院があり、そこに中国の著名な僧侶を招聘しようとしていたそうです。
その際にまず「隠元禅師」の弟子が日本に渡ろうとしたが、航海途中で遭難し、帰らぬ人となったため、隠元禅師が弟子の意思を継いで、来日したそうです。
このお寺、そのためか日本の寺院とは違う独特の中国的な建築、仏像がならびます。また毎日のお経なども中国明時代の発音で読まれるそうです。
↓中国風の総門。
↓天王殿。本堂の前にこのようなお堂がある配置は中国独特だそうです。この中に布袋様がおられます。
↓中国式の布袋様。四隅には四天王、背後には韋駄天様がおられました。韋駄天様は童顔のやさしいお顔でした。
↓本道にあたる「大雄宝殿」。
↓開板。叩いて食事の時間を知らせたりするものらしく、現在の木魚の原型と言われているそうです。
↓帰り道。塔頭の「聖林院」には、みみづく地蔵尊がおられました。以前、新聞に載っていたので気になっていました♪
↓御朱印です。